「じゃあ頑張ってね」という言葉の「こわさ」を改めて

今週もバタバタと過ぎて行きますが、そんな中でケースを振返って改めて感じたことをお伝えしたいと思います。但し実話が辿れないよう手を加えておりますのでご了承願います。
ある事業場での夕方の事です。慢性的に人手不足の、どこにでも有りがちな職場です。Aさんは未だ若手ですが職場内でもトップクラスの優秀で真面目な人柄です。
Bさんは翌日が休みのシフトなので楽しそうに帰り支度を手早く済ませ、その日の同じ日勤のAさんに向かって「私は明日は休み。あなたは明日は朝番からね。じゃあ頑張ってね。」と声を掛けて帰りました。ここまでは普通の話。
Aさんはその後、沈んだ様子で動けません。先のやり取りとその様子を見ていた副課長のCさんは「Aさん、どうした?大丈夫?」と声を掛けました。
Aさんは何も答え「られ」ずに、帰り支度をして帰って行きました。
そうです。Aさんは「「心の障がい」を持っているのです。それは課長と副課長のCさん達ごく一部の人しか知りませんし、勿論Bさんも知りません。
Cさんはそれを知っていたから、Aさんの様子の変化に気が付いたのです。
Cさんは今日も残業です。AさんからCさんにメールが届きました。Aさんは誰よりもCさんを信頼している様です。
内容は「私(Aさんの事です)はもう一杯一杯で頑張っているんです。そんな私にこれ以上頑張れって言うんでしょうか?休みでゆっくり出来る人が、一杯一杯の人に更に頑張れって言うんでしょうか?」
それは悲痛な魂の叫び声でした。
いろいろなところでボタンの掛け違いは生じますが、修復はなかなかに難しい。
先ずはその人の「思い」を受け止めて・・・。
私(藤田)レベルの社労士では、このようなケースの救援要請に対しては、組織的、制度的、社会保障的側面からの遠回りな支援が限界と感じています。
「ダイバシティ」がもっともっと広く一般に認知され、実体化されれば、悲痛な思いをする人もどんどん減ると思います。
企業サイドでは職場復帰サポートプログラムの整備拡充が進みつつあります。
一歩一歩でも進めて行ければと思います。

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